息子(20)は大学1年生、現在休学中である。休学の理由は、病気で体調を崩してしまったこともあるが、行きたい学部ではなかったため、在籍している学部での勉強に全く興味が持てなかったことが原因のようだ。
高2で大学受験を意識
高校2年生の4月頃、息子が医学部を目指したいと言い始めた。病院の先生にいつもお世話になっており、いつか自分も医師になって恩返しがしたいという理由であった。
中1から病気が発症したこともあって、知識ゼロからのスタートとなった。通信制高校ではなかなか思ったような学習を進めるのは難しく、塾には体調が安定しないこともあり定期的に通えない。試行錯誤の結果、自分のペースで学習できる映像授業と家庭教師の併用で学習を進めていくことにした。ところが、これもなかなかうまくいかず、映像授業を受けた後に、大学生のチューターとその日の授業の振り返る時間があるのだが、チューターが質問に答えられない・・・ということがかなりの頻度で起こった。担当によって随分対応が違ったようだ。チューターは、あくまでわかったかどうかの確認をする役割で、そこでわからなければ本部に紙で質問を書いて出し、数日後に回答が戻って来るという仕組みであったので、文句は言えない。息子はその場で解決したいため、毎回不満いっぱいで帰ってきた。そして、数ヶ月後にはこんな仕組みではいつまで経っても追いつけない、とそこでの授業を投げ出してしまった。
いざ受験へ
受験まで、本当に長い道のりであった。中学から高校卒業までは、毎日のようにイライラが夜になると爆発し、家は毎日がお葬式のようであった。イライラだけではなく、やはり体調も悪いので、様々な症状も出る。高校3年間で2度救急車で運ばれている。最初は、アナフィラキシーショックを起こして真夜中に病院へ行った。次は急性虫垂炎である。抗生剤での治療となった。本当に受験どころではなかった。息子の気力も失われ、またどうせ勉強を始めたらまた具合が悪くなる・・・と言ってゲームに逃げていた時期もある。入院した後は、今まで以上にクライネ・レビンの症状が悪化し、なかなか普通の生活が送れない日々が続く。結局高校3年時は夏休みに入院をしていたため、全く勉強が手付かずのままであった。一応センターの願書は出したが、受験することなく卒業することとなった。
卒業後は大学受験予備校に入った。しかし、予備校では病気のことを理解してもらえず、上手くいかなかった。しかも、夏期講習前に虫垂炎が再発し、手術をした。そんな中、ようやくクライネ・レビン症候群であると診断がつき、ようやく治療にこぎつけた。そして、症状が比較的落ち着いてきたその年の12月に、息子が”医学部でなくても良いので、大学生になりたい”と言ってきた。
12月からの受験はかなりハードであった。まず、家庭教師の先生にもう一度、2ヶ月間見て欲しいとお願いし、そして、家庭教師の先生と本人と私の三人で作戦をたて、志望校を2教科(英語、数学)で受けられる学校に絞ることにした。受験科目と偏差値、倍率を眺めて候補を絞り、各学校の受験要項を確認。卒業した学校へ調査書を取りに行気、締切ギリギリになんとか間に合った。
勉強の方は、まだ各教科抜けがある状態であったので、そこを埋めることから始まった。赤本も用意し、受験日の早い学校から順番に解くようにした。
カレンダーに日程を書き込むと、かなり詰まった状態になっていたのだが、病状からいくと朝に不安があるので、その日の体調によって行けない日があることを想定して少し多めにエントリーをすることにした。受験校の中に1校だけ、午後からの試験があった。サテライト会場で自宅から比較的近く、試験時間もかなり短か買ったので、そこを最初の日程に入れた。
結果、体調が悪く、2校受験できなかったが、受験した5校のうち、4校でご縁をいただくことができた。最初に受けた学校からは、特待で合格をいただくことができた。状態が悪い中でも集中して勉強をした本人の努力の賜物だと思う。
大学生になる
息子は合格した大学の中で、自宅から一番遠い大学に、自宅から離れた祖父母の家から通う選択をした。いよいよ念願の大学生に!!私は飛行機に乗って入学式に駆けつけた。しかし、いつか、やっぱり大学を受け直したいと言ってくる日が来るような気がする、とは思っていた。が、まさかこんなに早く言ってくるとは、、、。
これも彼の人生である。