息子は現在20歳である。中学1年生の秋、急性胃腸炎にかかった。今まで特に大きな病気もなく、元気に過ごしてきた。その時罹った胃腸炎も、流行りの風邪程度のものであった。が、それ以来、学校に行けない状態が現在も続いている。胃腸炎が治り、日数的にも学校へそろそろ行けるだろう、とこちらは思っていたのだが、全く朝起きてこなくなった。無理やり起こしても、起き上がれないと言ってまた寝てしまう。こんなことが続くのはおかしい、と本人に伝え、2週間ほど経ったところで再度小児科で診てもらった。特に悪いところはなさそうだ。そうこうしているうちに1ヶ月が経ってしまった。かかりつけの小児科に相談し、総合病院を受診することにした。そこでの診断は、起立性調節障害の疑い。薬が出されたが、全く効いている様子がない。何度も通院したが、本人が訴えていることとがなかなか理解してもらえない。まったく前進しないまま、本人は病院への不信感をもつようになり、通院をやめてしまった。
それから何十件もの病院を受診し、6年かけてようやく診断された。病名は”クライネ・レビン症候群(反復性過眠症)”初めて聞く名前だった。”100万人に1人の珍しい病気です。病気に対する認知が十分でないから、診断してもらえなかったのも仕方のないことだよ。予後はいいからね、発症から平均14年で治るよ。”と明るく説明された。治療法は確立されていないが、対処療法で有効なお薬はあると言われ、早速その日から服薬をはじめた。昨年の6月頃のことである。現状は、服薬前に比べれば、雲泥の差で良くなっているが、まだ、いわゆる普通の生活を送るには至っていない。しかしながら本人もかなり心に余裕が生まれてきたので、ここで今までのことを振り返りこれからの糧とし、そして、不登校を経験して、誰にも聞けなかったことや悩みをシェアすることで、情報を必要とする方に届くことを願いながら、経験談を書いていこうと思う。
我が子が不登校になってわかることが沢山あった。子供もつらいけど、親も辛い。周りからは理解されず、どんどん暗闇に沈んでいくような感覚に陥ってしまう。なんとか普通の、元の生活に戻そうと最初は必死であった。布団から出てこない息子の手をひっぱり、無理やり制服に着替えさせたり、明日の約束をさせ、学校に行くよう促したりもした。そんなことを繰り返すうちにどんどん関係が悪化し、息子は心を閉ざしていった。そして、そこから逃げるようにゲームの世界にのめり込んでいった。時期的にもちょうど反抗期である。毎日のように、夜になると、ちょっとした言葉をきっかけに言動が荒れるようになっていった。お互い地獄である。そんな生活が何年も続いた。もう限界・・・と何度もつぶやいた。色々考えて、試してみたりしたけれど、どんなに考えても答えは出ない。いろいろな角度から専門家のアドバイスを求めたが、”大変ですよね。まずはお母さんが楽しく過ごしてください。”と、無責任とも思える発言を何度も耳にすることとなった。結局、誰にも頼ることはできない。最後は1人なんだ、と自分に言い聞かせるしかなかった。孤独であった。
ようやく最近になって、薬の効果もあるのかもしれないが、息子との関係は大きく変わってきた。先ほど述べた気持ちを持ったまま、人生一度きり、同じ時間を過ごすなら、楽しい方が良い、と基本に立ち返った。そして、息子の自立のことは一旦忘れ、息子が言ってくることすべてを反対することなく受け止めることにした。こうすべきである、などといったことは親である私の価値観であって、正解かどうかなんてわからない。そのスタンスで1年くらい過ごしてきたのだが、ぶつかり合うことがほとんどなくなり、最近では息子と父親の関係も良くなってきた。”話を聞いてくれない”と、息子はよく言っていたが、私のの価値観を一方的に押し付けていたのだと気づき、反省をしている。甘やかしともとれるが、一旦リセットすることによって、息子が聞く耳も持つようになったので、この期間がとても大切であったと実感しているところである。
次の記事では、学校について悩んだことを中心に書いていこうと思う。